時間の計算法
主人はマイペースなアメリカ人。
私は13年間アメリカに住んでいたので、この人の時間計算には慣れていたのですが、どうも日本での生活に戻って10年もたつと私の中の日本人時間が表れてきているのです。
たとえばです。
朝10時に待ち合わせていたとします。
みなさんはどのような朝を過ごしますか?
私は時間を逆算します。
まず9:50には待ち合わせ場所に着くように家を出る時間を計算します。仮に20分かかるとしましょう。
では、9:30出発時間までに支度をするので、支度には1時間かかるとして8:30には起きている必要があります。
余裕をもって、8:15には目覚ましをセットします。
しかし!主人は違います。
10:00に待ち合わせ、家から20分かかるから9:40には家を出る。
それだけです。
9:00頃起きて、SNSやらメールをチェックし、ベッドにしばらく座っています。
それから朝食を食べたり、支度しているとすでに9:40です。
あわてています。
そしてこういいます。
「ぼくは待ち合わせに遅れることがいやだから、本当に急いだよ。」
どうして余裕もった時間に起きないのか、どうして起きてからメールチェックだかSNSだかに30分も費やすのか。
最後のギリギリまで好き勝手にしていて「遅れたくないから急いだ」というのもおかしなもので、計画的に動けばいいのにと毎回思ってみています。
私と主人はまったく異なる星から来たのかもしれません。
でも、隣の星は不思議な星で、嫌いじゃないです。
ただ、私はその星には住めないでしょうけど。(笑)
家族がいること
昨夜、息子はショートステイにお泊りでした。
ショートステイというのは、障害のある方が短期でお泊りする訓練をかねての宿泊施設です。
自閉症の息子の場合は、いずれ私がいなくなった後、他人にお世話になるときに他人からのお世話を受けられる訓練、また緊急なことがあってうちにいられなくなったときにお泊りできる訓練、を目的として利用しています。
学校まで事業所がお迎えに行ってくださり、そのままお泊りとなりました。
なので、昨夜は息子はいない、娘は塾、主人は帰りが遅くなり、私はひとりで夕飯を食べました。
おうちにみんながいると私は忙しく「あーあ、自分だけの時間がほしい」と思うのですが、一人になるとさみしくて、今頃息子は何しているのか、娘は何時に帰ってくるのか、そろそろ主人が帰ってくるころか、などと家族のことを考えてしまうのです。
以前、我が子に障害のある母親が「障害あってこそのこの子だから、生まれ変わってもまた障害のあるこの子と一緒がいい」と言っているのをきいたことがありました。
その時は「きれいごとだわ」としか思えず、私は息子から障害を取り除けるのであれば取り除いてあげたいと思いました。
障害ゆえ、この社会では生きにくさもあるでしょうし、親亡き後どのようにこの社会で生きていくのかも見えず、虐待の対象になることを懸念すると、障害を持っていてよかったとは思えませんでした。
今、私が想像する息子の姿は自閉症の息子なのです。
自閉症のない息子はみたことがないから想像しがたいのです。
自閉症だからこその育て方もあり、とにかく「人から愛される子」になるよう育ててきました。
ショートステイから戻ると、放課後等デイサービスに行きました。
人が大好きな息子は人の中にいることが大好き。
ずいぶん背が高くなり、毛むくじゃらの脚になりましたが、ショートステイの方からも放課後等デイサービスの方からも
めっちゃかわいい。いてくれるとみんながうれしくなるよ。
と言われました。
障害はあるけど、人として愛される。この子は私の息子。
子育てはなかなか終わらないし、忙しいけど、私は障害のある息子、ガイジンと呼ばれる主人、息子、娘がいてくれてこその生活が大事です。
家族がいること、当たり前だけど、特別なこと。
頭痛が止まない
私は頭痛持ち。
いつからなのかは記憶にないのだけど、気が付くと毎月1回、ロキソニンも効かないほどの頭痛は3日くらい続くのです。
雨の前はもちろん頭痛ですが、この月一の頭痛はやっかいです。
肩こり、背中の痛み、首のこり、そして眼の奥の方まで熱いような重いような幻でもみてしまいそうな痛みなのかだるさなのかわからない状態、そして頭が割れそうな後頭部を取り外してしまいたくなるような痛みなのです。
それが来た。
昨日からなんとなく重い感じはしていたら、今朝からもういけません。
頭痛だけでなく、肩こりまでひどく、娘に肩もみをたのんだら、あまりの硬さに娘の指が折れそうだと言われました。
明日はマッサージの予約をとりました。
行ってきます、マッサージ。
がんばるママへのごほうびです。
ささやかな幸せ
みなさんは毎日の生活の中に小さな幸せを感じることありませんか。
私は大きな幸せにはそんなに魅力は感じませんが、小さな幸せが続くことに喜びを感じます。
毎朝、息子と一緒にダンスを踊ること。
息子は現在15歳。健常な子でしたら、母親と距離をおいてみたり、口数も少なくなる年齢でしょう。でも、自閉症の息子は心はいつまでも天使のまま。
昨年学校の発表会で習った「サイレントマジョリティー」のダンスを今も毎朝踊ってくれます。息子のダンスの真似して私も一緒に踊ります。
最近新しいダンスが加わりました。A・RA・SHIです。
どこで教わったのかわからないのですが、とにかく楽しい。少し古い曲ではありますが、息子の新しいダンスに私は新たな喜びを感じます。
レモネードを飲むこと。
インスタントの粉末レモネードを持って仕事に出かけます。
冷えたお水で溶かしただけですが、頭の中ではアメリカに住んでいたとき、お庭のパーティーで氷をいっぱいにいれたピッチャーにレモネードの素を水で溶かしてグラスに注いでもらったことを思い出します。幸せなひとときです。
目の前にはパソコン上の数字だらけですが、頭の中ではアメリカに戻れる一瞬です。
ガリガリ君を食べること。
私はあまりアイスクリームに魅力を感じません。主人と娘がアイスクリーム大好きで毎日1個食べているので、みているだけで満腹になってしまいます。アイスクリームはもうたくさん、と。
そんな私がたまに食べるお口に冷たいものはガリガリ君。ソーダ味が一番です。
夏に向かってる今日この頃、「今日も一日がんばりました」と自分を労うひとときです。
夜、主人を迎えにいくこと。
仕事で帰りが遅くなる主人を迎えに駅へと向かいます。それは、私が子供のころ、父を迎えに母が運転する車の助手席に乗っていたことを思い出します。
父が仕事帰りに飲んでくるときは母が迎えに行きました。私は母の車の助手席に乗って父を迎えにいくときの景色であったり、ちょっと酔っ払ってわけわからないことを言う父が大好きでした。
今、主人は仕事で遅くなるのですが、自宅から数分のところにある駅にお迎えに行きます。改札口から出てくる主人をみているのは幸せです。
いつまでこういうことができるのかな。10年後、こんなお迎えが懐かしく思えるのかな。
小さな妄想は小さな幸せを運んできてくれます。
ささやかな幸せはすぐそばにあります。
幸せを感じられることが一番幸せなのかもしれません。
ご褒美の赤ワイン
毎日仕事は疲れます。
私の仕事は生活介護事業所の管理者兼サービス管理責任者。
利用者は重度な方が多いので、日常的でないこともたびたび起きます。
大変ですが、私は利用者さんはかわいいと思っています。
かわいいというのは語弊があるかもしれませんが、みんなそれぞれに不思議な味があるので、愛を感じるのです。
仕事である以上、息子に対する思いとは異なる思いですし、仕事ですから上からいろいろなこと言われることもあります。
「もう辞めたい」
なんどもそう思うのです。一日のうちで3回くらい思うこともあります。
いやな思いのままうちに帰ってくることもあります。
そのまま、家庭のことをしているとへとへとになり、一日の終わりに近づきます。
午後10時すぎ、私はご褒美に赤ワインをグラスに一杯だけ飲むのです。
なんとなく頭がぼーっとなり、もう一日が終わることを思います。
安物のワイングラス、安い赤ワイン、安いチーズを一個、これで十分。
今日も私はがんばりました。
障害児のきょうだい、癌患者の子供
梅雨の晴れ間に洗濯物を干し、ついでに布団も干しました。
すっきりとした気持ちになりながら、ふとこういうことができることは幸せだな、と空を見上げました。
今から12年前、ちょうど今頃です。私たちはアメリカに住んでいました。
息子3歳、娘2歳のときでした。
私はステージ3の大腸がんの診断を受けました。
いやはや、そんなことは私の人生に予定してなかったことでしたので、どうしたらいいものか。。。というのが正直なところでした。
我が家系、癌が多く、がん検診をしなかった私がいけなかったのですが、初めての検査でいきなりステージ3でしたから本当に予想外でした。
私はその頃、「ああ、アメリカに住んでいてよかったなあ」と思うことがたくさんありました。
そのひとつが家族のケアでした。
息子が自閉症という障害があると、どうしても娘に手をかけてあげることができないこともありました。
私たちが住んでいた学区では障害児のきょうだいに対するサポートもあり、兄弟たちが集まるとか、息子が通っていた発達センターではきょうだい含めて家族が集まってピザパーティーのありました。
そして、今度は私が癌になってしまうと、病院から親が癌を患っている子供たちのサポートがあることも紹介されました。
癌患者の子供たちにアートで気持ちを表現することなどが行われていました。娘はまだ2歳でしたので、そういう集まりには参加しませんでしたが、我が家の状況からたくさんのアドバイスをいただきました。
ヤングケアラー、という言葉を最近よく聞きます。
障害や病気の家族の世話をする18歳未満の子供たちのことだそうで、家族の世話をすることで学業や個人の時間に支障が生じていることが問題となっているそうです。
娘は今は受験生となり、塾に通ったり、部活動をやったりと普通の中学生として過ごしていますが、一歩違えば「ヤングケアラー」と呼ばれる状況になっていたのでは、と思います。
幸い、私が癌は完治して今やフルタイムで仕事をしています。ですが、これはたまたま私は完治したものの、ステージ3でリンパ節に転移していたので進行していても不思議ではありません。
そして、数年前まではうちは母子家庭でしたので、私が病気を患っていたら、それこそ、自閉症の息子のことも娘の負担になっていたかもしれません。
日本に戻ってきたとき、私はこんなことを言われました。
「どうして障害児のきょうだいに対する支援がないのですか?」ときいたら、
「どこもみんなではないから。障害児がいるのはお宅のことですよね。みんながそうであればそういうことも必要でしょうが、一部の方のみでしたら、それぞれのご家庭で対応してください」と。
今はずいぶん変わってきたなあ、と最近思います。
昔は、家族の中で子供たちが親のお手伝いをすることが当たり前だったといいます。
子供を支える支援が必要です。それによって過剰に線引きすることないよう、当たり前の生活ができるような社会が理想です。
なんてことを思った晴れ間でした。
15歳 自閉症
息子はかわいい。
自閉症、重度知的障害、ADHD いろんな障害名ついているけど、私は個人的には自閉症-autism-が一番ぴたっときます。
できないこともたくさんあるし、苦手なものもたくさんあります。
以前、私が最も好きな映画監督・俳優の方にこんなこと言われたことがあります。
「障害のある子ってたしかに子育ては大変だけど、いつまでも子供の心を持っていてくれるから、親はいつまでもかわいがることができて、ある意味親は幸せを感じるよね。健常な子は成長して大人になってしまい、離れていくけど、この子たちはいつまでもかわいい」
って。一語一句こういわれたわけではないけど、だいたいこんなようなことを言われました。
それ以来、私はあらためて息子がいることに幸せを感じます。
会話もままならないから、まるで保育園児と話すようなふうになるのだけど、私はこんなかわいらしい会話を何年も続けていられるのです。
息子はピョンピョンはねてみたり、好きなダンスを毎日踊るし、お気に入りの本をいつも読んでいます。
私とのやりとりで気に入った言葉があると、毎日その言葉を聞きたくて同じやりとりをしたがります。
息子は本当にかわいい。
思うように育てられないこともありましたが、私はずっと大事にしていることがあります。
「人に愛される子になってほしい」
社会で人として生きていくのですから、たくさんの人々のお世話になります。そのみなさんから好かれる子になってほしいと願っています。
おかげさまで、学校でも放課後等デイサービスでもみんなから「かわいい」と言ってもらえる15歳になりました。小さな子供たちからも好かれるときくと、親として「よかった」と思います。
息子がいること。それは私の一日一日を優しい気持ちにさせてくれます。
毎日生きているとそんなふうに思えないときもあります。しんどいときもあります。でも、私は息子がかわいい。
これだけはどんなに怒っても変わらないです。