私の息子は自閉症、知的障がい、そして天使

ガイジン家族、障がい者家族、普通の生活

偏食の王様 3

さてさて、しばらく時間があいてしまい申し訳ありません。

偏食の息子、小学2年生において王座から降臨したことは前回お話しました。

しかしながら、偏食の道は地道に続いておりました。

 

が、中学生になるといきなり偏食から脱却したのです。

さて、息子になにがあったのかというと、これまた褒める、褒める、褒めるの成果でした。

中学生になり、制服を着るようになりました。

最初は嫌がったものの、カッコイイを連発することですっかりその気になりました。

 

「わあ、すてき。さすが中学生」

この言葉に酔っぱらう息子はいきなり変わっていったのです。

多動の王様でもあった息子は年齢的なこともあり、すっかり落ち着きました。

 

そして、食べ物も変化していきました。

「すてきです。なんでも食べちゃうの?」ときけば、

「なんでも食べちゃいます」と言う息子。

言ったらその通りにがんばるのは小さな時からなので、なんでも食べちゃうようにがんばるのです。

 

しかし、食べてみると思ったほど「いや」な味ではないことに気が付いたようで、どんどん食べられるものが増えていくのです。

そして、食べている息子をみると、今までの偏食道を貫いていた息子を知っている人は口をそろえて、

「すごい、さすがです。食べれるんだ、すごい!」

そんなん聞いたら息子は木をひたすら登っていきます。

 

結局、中学生になり、周りにのせられて、苦手なものも食べられるようになりました。

今では、家族4人、特別食なしで、みんな同じものを食べています。

 

最近では「ママ。肉!」と言うので、男の子だなあと思います。

 

うちの子の場合は、褒めちぎることで克服しました。

多分個々によって異なるとは思いますが、あそこまで偏食だった息子ですら今ではなんでも食べちゃう子になりました。

 

息子の好みの食事は和食です。

よくみていると、息子の好きなものはどれも、私が離乳食のときに使っていた食材です。

豆腐、バナナ、おから、きんぴら、うどん。。。味噌味、しょうゆ味、

離乳食って初めての味覚なんですね。

15歳になっても残っていました。

偏食の王様 2

偏食の王様1の続きです。

さてさて、偏食の王様となった息子、炭水化物しか食べないような状態でした。

 

それが小学2年生の夏休みを機に食べられるものが増えていったのです。

なにがあったのか。。。

 

私は息子が小さなときから褒めて育ててきました。

アメリカの幼稚園でABA療法を受けていたとき、なにかできたときにご褒美をあげてその行動を定着させていく、ということで息子の好きなものは何かときかれました。

 

誉め言葉とハグです。

 

他の子はクッキーだとか、チョコレートだとかいうなか、うちの子は形のないものを言うからちょっと困らせた記憶があります。

 

とにかく、それくらいに人に褒められることが大好きな息子。

小学2年生のとき、通所していた放課後等デイサービスで職員さんたちにとてもかわいがってもらっていました。

通常は平日学校が終わった後、健常な子が児童センターに行くように、障がいのある息子は放課後等デイサービス(放デイ)を利用していました。

夏休みなどの長期休みは朝9時から午後4時まで預かってくれるので、お弁当を持って通っていました。

 

当時の息子のお弁当は、甘い卵焼き、ヒレカツ、白いごはん、あとは飾りつけのようにきんぴらごぼうや豆腐ハンバーグなどを入れるのですが、食べるのは卵焼きとカツとご飯だけでした。

そこで、放デイの職員さんたちがいろいろ考えてくださり、息子の偏食を少しでもよくしようと取り組んでくれました。

 

息子がお弁当を食べることをほめちぎってくれたのです。

たとえば、きんぴらを一口でも口に入れたら、

「わあ、かっこいい!ユウくん、めっちゃかっこいい。」

「ほんとだあ。すごいじゃん!」

若い女性にほめられると息子もうれしくなって、口にいれたものをゴックン。

「わあ、すてき!もっと食べれる?」

 

こんなにほめられちゃうと、息子はもう木のてっぺんまで登る勢いです。

きんぴらを食べ終えると、次は豆腐ハンバーグ。

また若い女性に囲まれてキャーキャーいわれ、褒めちぎられたら息子の木登りはとまりません。

 

こうして、毎日褒めちぎられているうち、持ってきたお弁当は残さず食べれるようになりました。

夏休みを終え、小学2年2学期から、学校でも給食は褒められる時間になりました。

 

大きなきっかけは、こんなふうに息子が最も欲しがるもので釣ったことでした。

 

とはいえ、まだまだ偏食には君臨しており、王様の座からはおりたものの、好き嫌いはたくさんありました。

特に外面のいい息子は外ではがんばって食べても、うちでは好きなものしか食べない姿勢は崩しません。

ある意味、内と外を使い分けていました。

 

我が家の夕飯の食卓は、私たち3人のものと、息子の食事はまったく同じではありませんでした。

必ず一品は息子の食べられるものを追加していました。

 

それが、3年前、中学に入学するのを機に息子は偏食から脱却したのです。

 

その続きは偏食の王様3に書きますので、しばしお待ちくださいませ。

偏食の王様 1

お子さんが偏食でお悩みのお母さん、いらっしゃいませんか?

私もちょっと前までそうでした。

って、過去形です。

我が息子、偏食を克服しました。

 

今夜、牛丼を作りました。

サラダも作りました。

子供たちは大喜び。

こんなふうに一家みんなで同じものを食べられるとは夢のようです。

 

息子はずっと偏食でした。

赤ちゃんのころは、ずっと母乳でした。そして、離乳食はすべて私の手作り。

アメリカに住んでいたのですが、日系スーパーマーケットに行っては食材を仕入れ、和食の離乳食を作って食べさせていました。

 

離乳食はバクバク食べてくれました。

それが、2歳過ぎたころからです、偏食が表れたのは。

 

気が付いた時には、偏食の王様。

まだ小さなころ、出先でよくオレオクッキーをすすめられました。

さあ、どうぞ、ごほうびに食べなさい、と笑顔でオレオをくださるおじさんに

息子は「。。。」とみているだけ。

必ず言われたのが、「お母さん、そんなに神経質にならなくてもいいんじゃない?」

いえいえ、私は子供に食べ物制限はしませんでしたが、息子はチョコレートが嫌いでした。クリームも嫌い。甘いものも嫌い。

私が、ではなく、息子がオレオを食べなかったのです。

 

息子が好きだったものはどれも炭水化物でした。

白いご飯、パン、うどん、パンケーキ。。。

それと、きなこ。

アメリカの幼稚園に通い始めたころ、息子のお弁当はご飯で作っただんごにきなこをまぶしたもの、きなこを混ぜたパンケーキだけでした。

ある日、息子の先生から、「あのライスボールにまぶしてある木の粉みたいなものは何?」ときかれました。

おがくずのようだ、と。

 

アメリカにいたころは、子供であっても処方された栄養サプリで栄養バランスはとれていたのですが、困ったのは日本に来てからのこと。

サプリを処方するには、虚弱体質とかなにかないと出せないとお医者さんにいわれ、本当に心配しました。

 

炭水化物しか食べない時期がありました。

 

ところが、小学2年生のとき、息子はあることがきっかけで食べられるものが増えたのです。

 

続きは次のブログに。

 

 

息子のメルトダウン ちょっとパニック

今夜、久しぶりに息子がメルトダウン起こしました。

メルトダウンってどんなかというと、彼の中に不安やイライラがたまり、それがあふれ出すことで、何かに怒っているわけでなく、抱えきれなくなった不安やいらだちがふき出しちゃった状態です。

 

息子の場合、こういうとき、結構かわいいです。

わーってなってしまうんです。たしかにちょっとパニック状態になります。

でも、息子は人や物にあたりません。物を壊したり、人に暴力振るうことは一切ありません。

では、どうなるか?

 

古新聞または新聞チラシをべりべりに破るのです。

憎々しげに新聞チラシをやぶり、引きちぎり、

「ああ、破っちゃった。」と言いながらまた破る。

 

「破ったら自分で片付けなさいよ。ゴミ箱捨てといて」と私が言うと

「破っちゃったあ、あーあ。」と言いながらお片付けする息子。

 

思い起こせば息子が5歳くらいの頃かな。

癇癪を起すようになり、私は考えました。

このまま、癇癪起こして暴れるようになって、体が大きくなったとき、私は抑えられるだろうかと。

 

ダメ、というのは効果的ではない。

だって、好きでこうなっているわけでなく、こらえきれず苦しんでいるんだから。

じゃあ、代替物を与えよう。

ということで、あふれ出す不安をなにかにぶつけよう、できれば人に迷惑かけないような物で片付けが楽なもの。。。

おお、新聞いいじゃん!新聞チラシもいいじゃん!

思いっきり破ってもいい。

ただ、まだ家人が読む前の新聞はやめてほしい。

てことで、ストックしてある古新聞がいい、ということにしました。

 

まだ小さな体でワーッとなると、息子に古新聞やチラシを渡し、

「やぶっちゃえ、やぶっちゃえ、べりべりにやぶっちゃえ」と一緒に破っていた私。

息子の手が止まると

「もっとやぶっていいよ。えーい、やっちゃえやっちゃえ!」と夢中に破っている私。

小さな手で新聞チラシをやぶって、

「ママ、やぶっちゃったあ~」という息子。

 

最後は、「じゃあ、丸めるか。全部丸めてゴミ箱ポン!」です。

 

息子がワーってなるたび、こうしてきた我が家。

今、息子は15歳。気持ちの上で抑えきれないことはまだまだあります。

でも、暴れたり物を壊すことは今も昔もありません。

 

代替物です。

ダメ、と止めるより、息子には効果ありました。

 

今夜もべりべりにチラシを破って、丸めてゴミ箱ポン、しました。

 

息子の子育ては決して楽ではありません。

でも、同じくらいに楽しい。

いつまでも天使の心でいてくれるから。

でも、チラシ破ってる時の顔はちょっと小悪魔かな。

 

規則正しい生活が好きな息子

息子は自閉症ゆえ困ることもありますが、反面この自閉症の特性ゆえ自立に役立つこともたくさんあります。

 

息子が小学6年生のときから、私は息子には朝食はひとりでできるように教えてきました。

簡単な朝食なので、いつか私がいなくなっても自分でできるようにと願っております。

たとえば、将来ひとりで暮らすことができて日中ヘルパーさんが世話をしにきてくれるようになったとしたら、朝ごはんくらいは自分ですませたほうがいいでしょう。

 

息子の朝食

*アップルジュース

 自分でグラスに注ぎましょう。

*シナモンシュガートースト

 トースターでパンを焼きましょう。

 バターはナイフでとり、トーストにぬりましょう。

 シナモンシュガーはトーストにふりかけましょう。

*ヨーグルト

 ふたをとり、スプーンで食べましょう

*果物

 フォークで食べましょう。

 バナナは皮をむいて食べましょう。

 

**食べ終わったら、自分の食器は自分で洗いましょう。

 

これを毎朝きっちりとやることをもう5年続けています。

そして、息子はいつも同じ時間に同じように動きます。

なので、寝坊もなければ、遅刻もしません。

 

15歳の男の子なら自分で朝食を用意して食べることはできるかもしれません。

でも、実際に自分でやっている子はどのくらいいるのかな?

毎日続けている子はどのくらいいるのかな?

 

自閉症の特性、ルーティンで動く。

この特性は自立には役立ちます。

 

そして、食べ終わったとき、「ごちそうさまでした」と言う息子。

これはマナーというより、彼のルーティンです。

でも、社会ではこれができないことは恥ずかしいことです。

マナーでもルーティンでもかまいません。

私はこうして社会で生きていくことを身につけていくことが大事だと思っています。

 

私が一番うれしいのは、息子の無邪気な笑顔。

娘は17歳

今日、娘の誕生日でした。

17歳。

でも、17歳の娘の姿が見えないのがさみしいかな。

娘は生まれてくる前に天国に帰っていきました。

マユっていいます。

もうすぐ生まれるね、と言いながらマユのお部屋を準備していた矢先でした。

マユが動かなくなって、心音も消えた。

 

とってもかわいい子でした。

お腹の中ではいたずらしてばかり。

眠るようにして生まれてきたマユは小さな女の子で、とってもかわいい子でした。

抱いたときまだ暖かくて、もしかしたら泣くかも、と思いました。

 

マユの声は聴いたことありません。

でも、マユの声を感じます。

 

今日はささやかな誕生日会。

ケーキにキャンドル立てて、息子と娘がふーっと吹き消してくれました。

 

マユの誕生日には毎年真珠を一粒ずつプレゼントしています。

マユが二十歳になるまで続けます。

そして、娘が二十歳になったとき、マユの真珠でネックレスを作ります。

 

マユの誕生日にはお洋服を買います。

そして、娘が着ます。

なんだかマユが着ているのを想像できるから。

 

子供を亡くすことは本当にかなしい。

順番が違うから。

でも、マユは私の人生を軌道修正するためにお腹の中にきてくれたんだと思う。

そして、天国に帰りました。

 

マユはここにいるかな。

毎年、ちょっとだけ涙流すのは、マユの声がきけないから。

 

Happy Birthday, Mayu!

I love you so much.

電子レンジがない生活

いつからでしょう、電子レンジが当たり前にある生活になったのは。

私が幼少期は電子レンジはなかった。

ご飯は「ジャー」と呼ばれる炊飯器+保温なるものであったかになっていた。

あとは、湯せんとか、炒めなおしたり、かな?

 

あまりに当たり前になっていて電子レンジがない生活は想像してなかった。

 

日曜日、ローストビーフを焼こうと思っていた。

肉に下ごしらえして、さて!とオーブンレンジに入れて、温度を合わせて、

スタートボタンを押した。

 

動かない。。。

 

うそだろ。ありえない。

ここまでやっておいてオーブンが使えない。。。

 

数分まって、オーブンレンジ様のご機嫌が直るのを待ち、

さて、スタート。

 

動かない。。。

 

レンジは動くのにオーブンが使えない。

これではいけない!

毎週末、ケーキを焼く我が家にオーブンはなくてはならない。

急いで家電量販店に持っていくことにした。

だって、このオーブンレンジ、昨年のクリスマスに主人がクリスマスプレセントに選んでくれたものだからまだ保証期間内なのです。

 

え?クリスマスプレゼントに選んだ?

そ、私が見ていたら「ほしい?」ときかれ、「うん、欲しい」と言ったら、「じゃあ、クリスマスプレゼントに買ってあげる」と。

大喜びした私はあまりかしこくなかった。

よくよく考えたら、うちの予算からお金出ていたじゃん。

それに、大きいオーブンあればサンクスギビングのときに、大きめのターキー焼けるね、と喜んでいた主人。

なんかおかしい。。。

けど、まあ、うれしい。

 

そんなでオーブンレンジを家電量販店に持ち込むと、

修理依頼票を記入する。

「保証期間内なのでメーカーで修理できます。たぶん、2-3週間はかかるかと思いますが、よろしいですか?」

「はいはい、大丈夫です。2-3週間ケーキ焼けなくても大丈夫。修理お願いします」

 

家電量販店を後にしたときにハッとすごいことに気が付いた。

 

あわわわ。。。オーブンだけじゃない。電子レンジがない生活が2-3週間だ。

 

あれから3日。レンジのない生活は結構大変。

残りご飯をチンできない。

夜遅く帰宅する主人の夕飯も温められない。

冷凍食品も手軽にチンではできない。

 

オーブンはなくても暮らせても電子レンジはちょっと無理。

 

早く帰ってくれ、電子レンジよー!