私の息子は自閉症、知的障がい、そして天使

ガイジン家族、障がい者家族、普通の生活

家族がいること

昨夜、息子はショートステイにお泊りでした。

ショートステイというのは、障害のある方が短期でお泊りする訓練をかねての宿泊施設です。

自閉症の息子の場合は、いずれ私がいなくなった後、他人にお世話になるときに他人からのお世話を受けられる訓練、また緊急なことがあってうちにいられなくなったときにお泊りできる訓練、を目的として利用しています。

学校まで事業所がお迎えに行ってくださり、そのままお泊りとなりました。

なので、昨夜は息子はいない、娘は塾、主人は帰りが遅くなり、私はひとりで夕飯を食べました。

おうちにみんながいると私は忙しく「あーあ、自分だけの時間がほしい」と思うのですが、一人になるとさみしくて、今頃息子は何しているのか、娘は何時に帰ってくるのか、そろそろ主人が帰ってくるころか、などと家族のことを考えてしまうのです。

 

以前、我が子に障害のある母親が「障害あってこそのこの子だから、生まれ変わってもまた障害のあるこの子と一緒がいい」と言っているのをきいたことがありました。

その時は「きれいごとだわ」としか思えず、私は息子から障害を取り除けるのであれば取り除いてあげたいと思いました。

障害ゆえ、この社会では生きにくさもあるでしょうし、親亡き後どのようにこの社会で生きていくのかも見えず、虐待の対象になることを懸念すると、障害を持っていてよかったとは思えませんでした。

 

今、私が想像する息子の姿は自閉症の息子なのです。

自閉症のない息子はみたことがないから想像しがたいのです。

自閉症だからこその育て方もあり、とにかく「人から愛される子」になるよう育ててきました。

 

ショートステイから戻ると、放課後等デイサービスに行きました。

人が大好きな息子は人の中にいることが大好き。

 

ずいぶん背が高くなり、毛むくじゃらの脚になりましたが、ショートステイの方からも放課後等デイサービスの方からも

 

めっちゃかわいい。いてくれるとみんながうれしくなるよ。

 

と言われました。

障害はあるけど、人として愛される。この子は私の息子。

子育てはなかなか終わらないし、忙しいけど、私は障害のある息子、ガイジンと呼ばれる主人、息子、娘がいてくれてこその生活が大事です。

 

家族がいること、当たり前だけど、特別なこと。