ささやかな幸せ
みなさんは毎日の生活の中に小さな幸せを感じることありませんか。
私は大きな幸せにはそんなに魅力は感じませんが、小さな幸せが続くことに喜びを感じます。
毎朝、息子と一緒にダンスを踊ること。
息子は現在15歳。健常な子でしたら、母親と距離をおいてみたり、口数も少なくなる年齢でしょう。でも、自閉症の息子は心はいつまでも天使のまま。
昨年学校の発表会で習った「サイレントマジョリティー」のダンスを今も毎朝踊ってくれます。息子のダンスの真似して私も一緒に踊ります。
最近新しいダンスが加わりました。A・RA・SHIです。
どこで教わったのかわからないのですが、とにかく楽しい。少し古い曲ではありますが、息子の新しいダンスに私は新たな喜びを感じます。
レモネードを飲むこと。
インスタントの粉末レモネードを持って仕事に出かけます。
冷えたお水で溶かしただけですが、頭の中ではアメリカに住んでいたとき、お庭のパーティーで氷をいっぱいにいれたピッチャーにレモネードの素を水で溶かしてグラスに注いでもらったことを思い出します。幸せなひとときです。
目の前にはパソコン上の数字だらけですが、頭の中ではアメリカに戻れる一瞬です。
ガリガリ君を食べること。
私はあまりアイスクリームに魅力を感じません。主人と娘がアイスクリーム大好きで毎日1個食べているので、みているだけで満腹になってしまいます。アイスクリームはもうたくさん、と。
そんな私がたまに食べるお口に冷たいものはガリガリ君。ソーダ味が一番です。
夏に向かってる今日この頃、「今日も一日がんばりました」と自分を労うひとときです。
夜、主人を迎えにいくこと。
仕事で帰りが遅くなる主人を迎えに駅へと向かいます。それは、私が子供のころ、父を迎えに母が運転する車の助手席に乗っていたことを思い出します。
父が仕事帰りに飲んでくるときは母が迎えに行きました。私は母の車の助手席に乗って父を迎えにいくときの景色であったり、ちょっと酔っ払ってわけわからないことを言う父が大好きでした。
今、主人は仕事で遅くなるのですが、自宅から数分のところにある駅にお迎えに行きます。改札口から出てくる主人をみているのは幸せです。
いつまでこういうことができるのかな。10年後、こんなお迎えが懐かしく思えるのかな。
小さな妄想は小さな幸せを運んできてくれます。
ささやかな幸せはすぐそばにあります。
幸せを感じられることが一番幸せなのかもしれません。